この刹那にささげる覚悟

もうすぐ三十。関東に嫁に来たばかり。友達が一人もいなくて寂しいのでブログを書きます。

生きるということ

先週末、祖母が亡くなった。

母方の祖母で、世間で言うところの「大好きなお祖母ちゃん」といえる祖母で。
というのも、父方の祖母があまり世に言う「おばあちゃん」ぽくない方なので。見た目はTHE☆農業やってるおばあちゃんなのに。

でまあ母方の祖母なのだが、
女手ひとつで私の母を育て、小料理屋を営んで生計を立てていた。
母一人子一人でまさに支えあって生きてきた私の母と祖母。
私と母とは違う親子関係で、羨ましかったりもした。

私は、そこそこ稼ぐ父と専業主婦の母、2つ下の妹、弟という家族構成でゴチャゴチャした親子関係。
親に対する新密度も尊敬心も全然違う。

一人娘の子供である私たち三人姉弟は、
祖母にとってはたった3人の孫で、
母が里帰りするたびに小料理屋を休業するほど、愛情を注いでもらった。

スーパーやおもちゃ屋さんでなんでも買ってもらえたし、
喫茶店や公園にたくさんつれていってもらった。

当然料理も抜群に上手くて、
ちらし寿司、おせち料理、おせちの中の海老の煮たやつ、おせちの煮豆の中の栗、綺麗にむいたウサギりんご、おじや、里芋の煮物
大好きな料理がたくさん。
この料理は孫に好評、とわかると大量に作りおきもしてくれた。

おこづかいをくれることもあり、
お年玉は没収されるし、親からおこづかいをもらえなかった私にとって唯一の収入源だった。

大好きなお祖母ちゃん!なエピソードだらけだ。

しかし、甘やかすだけでなく
しつけも厳しくしてくれて。
愛想のいい挨拶や姿勢などいつも教えてくれた。

本当に素晴らしい祖母だったのだ。

だが、ここ3年ほどは、
様々な病気で倒れることが増え、
そして痴呆がものすごく進んでしまった。
遊びに行くのもお盆と正月、一時間ほどの滞在。
小中学生の時は3日ほど泊まったのに。

実の娘である私の母のことも、
週3で母は通ってるのにも関わらず、本当に実の娘なのか混乱するし、
私のことも遠い親戚の子だと思ったり、または、幼い頃の年齢で止まってしまっていたり、
記憶が混乱していた。

私の知っている祖母ではなくなってしまった。

その時点で、祖母の死への覚悟はできていた。

早朝、母から電話があったときにすごく嫌な予感がして
母の関西弁まじりの
「あーちゃん(祖母の呼び名)、死んだんよ……」
一言に私は
「あー……。そうなんだー。」
と答えることしかできなかった。

でも、早く祖母に会いに行きたい!
とスッと思い、気がつけば母にどうすればいいか指示をあおいだ。

その日のうちに、新幹線で帰省し、翌日の通夜が始まる前、祖母が眠る葬儀場へ。

「あーちゃんの顔見ていい?」
と母に聞くと母は
「病気の闘病の末とかじゃないから、いつものあーちゃんだよ」
と嬉しそうに棺の前に一緒に行ってくれた。

「ホントだ。あーちゃんだ。」
ほっと安心してしまうほど、棺に眠る祖母は
私の大好きな祖母だった。

ボケてしまってからしなくなったお化粧をしてもらっていて、本当に元気な頃の祖母がそこにいた。

何故か安心した。
死んでしまったのに。
安心した。

その夜は葬儀場に、私たち三人姉弟が泊まった。
祖母の家に泊まりにいっていた頃のワクワク感そのままに、キャーキャー言いながら私たち姉弟は過ごした。
静かにしくしくしてるより、
その方が祖母は喜んでくれるかな、とも私は思った。
妹と弟はどう思ってるかわからないけど。

3人とも寝る前に祖母の棺までいって
「おやすみ」
と言ったし、朝はそれぞれ
「おはよう」
と言いに行った。

本当に祖母の家に泊まりに行ったみたいだった。